「ここにある光」

 

私は日常の中で印象に残った風景を描いています。

 

風景が記憶に残る条件には、特徴のある光や風や音をはじめ、何かが起こった状況や体験など多くの可能性があります。

私が捉えたものは、光によって照らされた強い色であり、それを断片的に記憶された印象としての風景です。

 

その印象としての風景は記憶のかぎり私の興味を惹き続け、その風景を知っているという感覚で私の視界を覆います。その風景がいつ、どこを示しているのかを知るために、私は様々な場所に訪れこの目で見ることを決めています。

制作に関しても同じく、多くの風景の中を実際に歩くことによって再確認と再構築を行っています。

 

その中で一つ、気付いたことがあります。

過去に訪れたことがない場所においても、過去に使った色で、さらに同じプロセスを使った表現がしばし繰り返されるという事実です。

 

私は仮説を立てました。強い印象の元を辿り、意識して歩き続けるのであれば、その行為自体が自分自身の持つ原風景そのものをかたちづくり、対峙を可能にするというものです。

 

私は、私の中の一番古い印象の記憶を知りたいと思っています。

光の風景が印象に残る要因を自身の経験をもって特定し、そして、その光の景色を他者と記憶の共有としてキャンバスに留めることができるのであれば、自分自身だけでなく、絵を見る人が求める光にもコンタクトできるかもしれないと考えるからです。

 

私は光の風景を求め、風景の中を歩き、今日も絵に向かいます。

2019.8.8 Reina Mikame

「向こうにある光」

絵画の表面を境界として、こちら側と向こう側がある。

こちら側と向こう側は同じ厚さを持ち、絵画の表面は常にその中間を捉える。

こちら側の光は、向こう側の光を物質として照らす。

向こう側の光は、こちら側の光の姿を写し取ったものではない。

別質のものだからこそ、境界が生まれる。境界があるからこそ、互いがあることをも確かめられる。

向こうにある光は、光の存在そのものを眩しく照らしている。

 

2018.5.20 Reina Mikame

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